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「解体新書」後編

カテゴリー:スタッフブログ 更新日:2018.06.13

こんにちは、教員の小枝です。

医学史ファンの皆さん、おまたせしました!! 前回の医学史探訪がいつだったか覚えておりますか?
私も覚えておりませんが(笑)、たぶん去年の11月ごろですかね? 

■「解体新書 前編」はコチラ ■

いよいよ解体新書の後編です!

1771年3月、ターヘル・アナトミアを入手してまもない杉田玄白(1733~1817)のもとに江戸奉行所から一通の書状が届いた。2日後に刑場で行われる腑分け(解剖)の立ち会いを許可するというのだ。

※「ターヘル・アナトミア」と呼ばれた本はヨハン・アダム・クルムス(独)の著した「クルムス解剖学書」のオランダ語版のこと。

「よし前野良沢(1723~1803)さんも誘おう!」2日後、2人は浅草の茶屋でおちあった。
良沢が「玄白さん、私は長崎で西洋の解剖学書を手に入れましてな」と本を差し出すと、すかさず玄白「これはターヘル・アナトミア?私の持っている本と同じですよ!良沢さん!」2人はお互いを見つめながらしばし笑いあった。
そして2人はターヘル・アナトミアを携えて、千住小塚原の刑場に向かった。

※江戸幕府の処刑場として、小塚原:現・東京都荒川区南千住、鈴ヶ森:現・東京都品川区南大井の2つがあった。


杉田玄白(左)と前野良沢(右)(Wikipediaより引用)

当日腑分けされたのは50代の女性であった。
腑分けが進むにつれて2人は愕然とし「ターヘル・アナトミアの絵とそっくりですね・・・」「まったくですな・・・」と感心するばかりであった。
帰路、2人は相談した。玄白「私は今まで医を業とする身でありながら、人体の本当の形を知らなかったことが恥ずかしい・・・」、良沢「それにしても、西洋医学のなんと進んでいることか・・・」、玄白「どうでしょう、良沢さん、われわれでこの本を訳してみませんか!」、良沢「いいでしょう。では、善は急げですな!」

翌日、医者仲間を加えた一同はさっそく良沢の家に集まった。
頼みは、良沢の持っている700~800ばかりの単語の知識だけであった。
知恵を出し合えばなんとかなると始めた翻訳作業であったが、オランダ語辞典もない時代、それは困難をきわめるものであった。

まさに、櫓も舵もない船で大海に漕ぎ出していくようなものであった。

彼らは、図と文章の相関や前後の文脈から単語の意味を推定し、それまで和漢医学で知られていなかった器官に関しては、翻訳の際に新しい名称がつけられた。「神経」「門脈」などはこのとき玄白らによって作られた言葉である。
こうした苦難の末、翻訳は完成した。洋書の禁制がまだ完全に解かれていない時代であったこともあり、玄白らはまず「解体約図」という小冊子を出版して、「徳川幕府のお怒り」がないことを確かめたあと、その翌年の1773年(安永3年)、ついに全5巻からなる本格的な解剖学の翻訳書を出版した。

これが解体新書である!

解体新書の初版本には、多くの誤訳があった。
しかし、はじめて和訳された西洋医学書の出現は、我が国の医学界のみならず、社会全体に大きな衝撃を与え、以後、せきを切ったように蘭学研究が盛んになったのである。

ちなみに、その後の日本の医師たちは、「解体新書」によって、
はじめて具体的に人間の身体について知ることができたのですよ!!


適塾所蔵『解体新書』(Wikipediaより引用)

参考文献:医学の歴史(小川鼎三 著、中公新書)、まんが医学の歴史(茨木保 著、医学書院)

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