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沿革

昭和47年5月
日本体育大学学長代行清水正一は、学校法人日本体育会 (現 日本体育大学)理事会に於いて柔道整復養成施設の設置を提案し、理事長米本卯吉の英断により設置が決議され、直ちに準備委員会が発足する。
昭和47年11月
名称を日体柔整専門学校とする。
昭和48年3月
厚生大臣より柔道整復師養成施設として指定される。(柔道整復師法第12条)
昭和48年4月
本校を日本体育大学深沢キャンパス内7号館に置き、夜間2年制として日体柔整専門学校が開校し、初代校長に清水正一(日本体育大学学長)が就任する。全国で14番目に誕生した柔整学校である。
昭和52年1月
深沢キャンパスから約500メートル南にある日本体育大学和泉校舎に移転する。この地は深沢大地の南端に位置し、閑静な住宅街の中にあって桜の樹木が多く、遙か西南に富士の秀峰と丹沢山系をも望む大変恵まれた環境であった。以後平成13年4月に用賀校舎へ移転するまで、約1500名の学生がこの校舎で学び社会へと巣立っていく。
昭和53年4月
学校教育法の一部改正に伴う専修学校制度の発足により、本校の名称を日体柔整専門学院へと改称する。
昭和59年4月
全国柔整学校協会の提案により、学生の資質向上を目的として本校の修業年限を夜間2年制から3年制に移行する。
昭和61年9月
校長清水正一は、学校法人日本体育会 (現 日本体育大学)理事会に於いて学校教育法に基づく専修学校専門課程(日体柔整専門学校)の設置を提案し、決議された。
設置の趣旨は以下の通りである。
「厚生大臣認定の養成施設として昭和48年に夜間2年制で開校し、その後昭和59年4月に修業年限3年制に移行したが、このたび学校教育法に基づく専修学校専門課程として教員の陣容強化を行い、以て教育内容の充実と学生の資質向上を図りたい。」
昭和61年12月
世田谷区長より本校の設置が許可された(学校教育法第82条の第8項)。名称を再び日体柔整専門学校へと改称する。
平成2年4月
柔道整復師法第12条に基づく柔道整復師養成施設として厚生大臣の認可を受ける。
平成7年2月
世田谷区長より専修学校に関する文部省告示第84号に基づき、専門士(医療専門課程)の称号の付与が認められ、平成6年度卒業生より「専門士(医療専門課程)」の称号を付する。
平成13年2月
開校以来の念願であった自前の校舎が世田谷区用賀2丁目に完成し、同年4月に新校舎へ移転する。
平成13年4月
柔道整復師養成施設指導要領の改正に基づき付属日体接骨院を開設する。
平成15年4月
日体柔整専門学校昼間部(定員30名)が開設し、1期生が入学する。これにより本校は昼・夜間部合わせて1学年90名の学生を有することとなった。
平成15年4月
柔道整復師養成施設指導要領の改正に基づき3年生を対象とした臨床実習を開始する。
平成22年3月
柔道整復師養成学校として初めて第三者評価を受けた。
平成24年4月
学校法人名を「学校法人日本体育会」から「学校法人日本体育大学」へ変更する。
平成30年4月
学校名を「日体柔整専門学校」から「日本体育大学医療専門学校」へ変更する。
平成30年4月
新学科として歯科衛生士を養成する「口腔健康学科」を新設。柔道整復科を「整復健康学科」へ改称する。